今年の1月14日から2月6日まで仲間との遠征について記憶をたどりながら綴っていきます。
スタートは大阪の淀川河口、ゴールは鹿児島志布志港とした。
目的はこれからの遠征に向けたナビゲーション等のスキルアップや能力の把握。
出発地で記念撮影 キビーの嫁さん撮影 2021 1/14
1日目 淀川河口ー明石川河口 移動距離43キロ
出発前日の夜大阪についてそのまま翌日遠征スタートというハードスケジュール。これができるのも仲間が現地でカヤック運んで準備してくれたおかげ。今回僕が使用したカヤックはWFKのマリオン、ちゅらねしあ時代からのお客さんでもあるKさんからお借りしました。
当日朝起きたら寒い。テントからでてパッキングなど準備をしてると手が悴む、というより痛い。ハッチも薄く氷がはっていた。暖かい沖縄からきた僕にはかなり辛いものがあった。
朝7時出艇。ドライパンツを履いているが淀川の水は冷たかった、このひんやり感がこれから旅が始まります!!という合図のようでもあった。
視界は霞んでいて5-10km程度先までが見えた。淀川の河口を出たら右手には神戸、後ろを振り返ると大都会大阪。自然の濃い場所でしか漕いでこなかったのでこの景色はとても新鮮だった。霞もあり地図とコンパスで現在地を把握しようとしてもなかなか難しい。地図に載っていない堤防があり視界をさらに遮っていた。
神戸空港をすぎ明石大橋が見えてきた。ここからが瀬戸内海の入り口らしい。明石大橋の手前のビーチに上陸し休憩。お昼に行動食で用意していた非常食を食べた(この時点ではこの非常食が遠征最大の難所になるとは誰も思っていなかった)。
休憩後、出艇するも潮流が速い、速すぎる。前日のミーティングで明日は潮位差20センチしかないから大丈夫でしょと言ったことを後悔した。よく考えると満潮時に太平洋から瀬戸内海に侵入してきた大量の海水が干潮時にこの狭い海峡を通って流れ戻っていく。そりゃ潮位差なんて生まれるはずもない。もう漕ぐしかないので橋を超えるまで本気パドリング。時速にして1-2kmしかでなかった。そこから明石川河口まで向かい潮にやられこの日は上陸。
浜には何やら黒いオイルのようなものが沢山漂っている、これが都会の海か、、上陸したくないなと思っていたらケイタ君が海苔じゃない?という。まさかこんなところに大量の海苔が浮いてるはずないと思ったら上陸した横が大型の海苔工場だった。安心して浜でキャンプができた。夕食は鍋?だったか覚えてないが、それと共に例の非常食をいただいた。一口たべて、また一口。半分を食べた頃だったか、異変に気づいた。まずい、まずすぎて喉を通らない。無理やりたべたがパウチにこべりついたものまで綺麗に食べようとは思えなかった。これまずくないすか?一同揃って、うん美味しくないね。せっかくキビーが探して用意してくれたので我慢して食べようと思ったがそれを通り越すまずさ。正直に食べれないと言った。そしたらキビーがわかめご飯が1番不味いよと教えてくれた。この時点で非常食は残り92食分。ひじき、わかめ、五目、キノコの4種類のラインナップ。絶望的に不味い飯があと92食、想像するだけで吐き気がしたがこの日は疲れていたので考えるのをやめた。
翌日は小豆島までの島渡りとミーティングで決まった。正直、この遠征ではそこまで長い島渡りはしないだろうと思っていた、せいぜい30-40キロかと。だが遠征初日にして60キロ島渡りがミーティングに出てくるとは。ここで急にスイッチが入ったような気がした。
2日目 小豆島小島へ 59キロ
早朝まだ暗闇のなか起きて準備、5時半出艇。闇夜と霞で視界はない。ポツポツと見える街の明かりや浮標の赤、緑のランプ、動く船舶のランプのみが見える。バラけてはいけないので各自ヘッドライトを赤色モードにして照らし、南平さんのカヤックのスターンデッキには点滅灯をつけた。コンパス、地図をみながら漕ぎ進むも視界が悪いうえ潮流があって現在地の把握に不安が残る。あっているだろうけど確かじゃない。進んでいるだろうけど周りに自分たちのカヤック以外何もなく進んでる実感がない。ハンディGPSで現在地ではなく移動速度と止まった時の流される速度だけ測った。順調に進んでいた。明るくなってきて目の前に海苔養殖?の網が設置されている場所にきた。均等にブイが浮かび西の方に向かって永遠に続いているようにみえる。僕らの進むべき方角とぴったり合っていたのでここからは網を横目にスイスイ漕げた。近くに止まっている対象物があると進んでる実感があり全く不安なく漕げた。人間の心理とは単純なものだった。家島諸島を過ぎ小豆島が見えてきた。
小豆島北東の金ヶ崎南側の小島の付け根に14時頃上陸した。沖縄から持ってきた豆ポレポレのコーヒー豆で至福を味わった。スマホなどはバッテリーがもったいなくあまりいじれないので暇つぶしにラジオを持ってきたのでそれで音楽などを聴いて過ごした。FMのハイカラな曲よりもAMの昭和の曲の方が瀬戸内を旅するには心地よかった、というかそもそもAMしかはいらなかった。晩はナポリタンを1.25キロ。翌朝まで持ち越した。翌日から風があがってくる予報だったので小豆島を南から巡ることを諦め北回りで抜け本州側へ戻ることになった。
遠征レポその2へ続く
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